<雑感>の最近のブログ記事

えっと......

このあいだテレビでも紹介されていて、ちょっと面白かったもので。

本人は喜んでいるのか、はたまた「かんべんしてくれよ~」と思っているのか。訊いてみたい。

今年一番感動した映画

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マイケルジャクソンの、THIS IS IT、観ましたか?

僕は今年はあまり映画を観られなかったのだけれど、 これだけは何としてもと思って、11月の頭に行ってきました。やはり、今年一番、感動しました。

わけても、イナーイヤフォンに関するマイケルとオルテガとのやり取りのシーン。

おそらくほんものの天使なのであろうマイケルと、その想いを地上に実現するために、彼を愛情深く支えるオルテガ。

突き上げてくる激しい創作の衝動と、周囲の人たちとの調和を大切にする深い愛。その矛盾したふたつの内なる力のバランスを、必死でとろうとする孤独な天才。

ぐっときました。優れたなにかが形になる、ということは、こういうことなのだ、と思いました。

マイケルが亡くなって、不本意ながらもこういう映画が公開されることがなかったのなら、僕らは知ることのできなかったシーン。それだけに圧倒的な凄みをもって迫ってきます。

二週間だけの限定上映の予定が、また再上映もされています。1月にはDVDにもなります。

マイケルなんか別に興味ない......という方も、ぜひ、観てほしいです。考え方が変わります。生き方が変わります。

ただ、ひとりかふたりだけ

僕がシェフなら、みんなを笑顔にするような料理だけは作るまい
おいしいものをたくさん食べてきて
満たされ太ったグルメたちには無視されても
ただ、ひとりかふたりだけ
ほんとうの飢えを知っている人だけが
感激をもって頬張ってくれるような
そんな料理を作るだろう

僕が画家なら、みんなを笑顔にするような絵だけは描くまい
誰もがあっさり素通りする僕の絵の前で
ただ、ひとりかふたりだけ
得体の知れないなにかに惹かれて
思わず立ち尽くしてしまうような
そんな絵を描くだろう

僕が音楽家なら、みんなを笑顔にするような曲だけは奏でまい
まるで空気のようで
誰もその調べに気づかないけれど
ただ、ひとりかふたりだけ
ふと感じ、足を止め
じっとその空気に耳を澄ましてくれるような
そんな曲を奏でるだろう

ただ、ひとりかふたりだけ
はるか遠い記憶を思い出すかのように
僕がここにいることに気づいてくれれば
それでいい

たとえば、僕が、友達の家にアポなしで突然に訪ねていったとします。

友達は、たまたまそのとき家庭ののっぴきならないトラブルがあって、僕に対応している精神的な余裕がなかったとします。僕は、ほとんど無視されるような形で、帰されてしまいます。

そういう場合、僕としては、こちらの一方的な都合で訪ねていってしまった自分の無神経さを恥じはしても、その友達を責めることなんか思いもつかないでしょう。

ところが、メールだとそうではない。

自分の都合でメールを送りつけてきたくせに、返事がないと、大騒ぎをする。これはかなり暴力的なことです。こちらの事情を想像し、尊重するというところがない。つまり、信頼がない。

こちらとしては、メールの返事を書くだけの精神的な余裕がない。義務的な返事をするのは簡単だけれども、大切な人にほど、ほんとうに心をこめて返事をしたい。社交辞令的なレスなんかはしたくないと思っている。そういうことかもしれないのに、そんな思いを感じ、信じるどころか、形ばかりの返事がないことのほうが不安らしい。

昔、テレビ収録でお話ししたときに、ネプチューンの名倉さんが、「僕は、メールを出しても平気で返事をくれないような友達が、いちばん大切な友達だ」とおっしゃっていた。名倉さんっていう人が、ちょっとわかった気がした。ほんとうの心のつながりを大切にする人に違いない、と。

でも、いまの世の中は、言葉やカタチを超えた深い心のつながりや信頼よりも、社交辞令のメールのほうが大切だって人が多いらしい。




......っていう話を昔したら、「そういうときは、『いまは余裕がないから返事できない』ってひと言だけでもメールくれれば、いくらでも待つのに」と言った人がいた。

ほら、やっぱり、カタチのほうを信頼してるってことじゃないか。

そよ風

あなたを助けたいとか、守りたいとか、一生あなたの味方ですとか。
そう言う人が、いつだっていちばん僕を苦しめる。

でも、ほんとうに僕を助けてくれるあなたは
ふわっとそよ風のようにやってきて
ベストタイミングでやってきて
何気ない軽やかな言葉を残し
「じゃっ!」とまた愉快な笑顔で去っていく。
その一瞬が、魔法のように僕のこころを軽くしてくれる。

そんなさり気なく
さわやかで軽やかで颯爽とした思いやりこそが
ほんとうの意味でのパーソナルモチベーターに必要なことなんだと
改めて教えてもらった。

だが、そういう思いやりは能力であり
自分をアピールすることよりも
人の気持ちを理解しようといつも努めている人にしか
けっして思いつくものではない。

セラピーにおいては、クライアントとの間で話したことは、どんな些細なことも、死んでも口外しない。守秘義務などというまでもなく、それがセラピストがクライアントを守るということのいちばん基礎の土台だ。それなしに、相手の信頼を得ることなど決してできない。

言っていいことと悪いことは、セラピストが決めるのではない。クライアントにとって大切なことであれば、人から見てどんなに些細なことでも、慎重にならなくてはならない。

それは、セラピーでも、ビジネスでも人間関係でもみんな同じだと思っていた。 だが、違ったようだ。世間で言う、「信頼する」っていうことは、こんなにも軽々しいものであったかと、ただ呆然とするばかり。

それが本当のことであれ、ウソであれ、間違いであれ、そういう意味で言ったつもりはないということであれ・・・一度流れた情報は、もう止めることはできない。

殴られた傷ならやがて癒える。傷つけあった言葉もやがて挽回できる。

でも、いったん流した情報は、どんなに後悔しても、相手を永遠に苦しめ続けてとどまることがない。

無駄なことはない

ここ一週間ほど熱が下がらず、眠れないほどの頭痛が続いていました。

それでも、原稿は追い込みだし、DVDやCDの収録なども集中し、もろもろの大切なお付き合いもありで、かなりの無理がかかっていたのも事実だけれども、忙しいのはみんないっしょですから、やっぱり自己管理のぬかりなわけです。

みなさんに心配rしていただいたり、助けていただいたりで、ほんとうに幸せなことだと思いました。

おかげさまで、今日あたりからぐんぐん回復してきました。

とくに、西野椰季子先生から、いろいろと温かく貴重なアドバイスをいただきまして、それによって、自分の不調を、なにか客観的に観察できたというか。

薬を飲んでしまえばたしかに楽だけれども、それで楽になってしまったら、もうそれ以上考えるということがない。

でも、できるだけ薬に頼らずに、なんとかしようと思うと、いろいろ工夫する。工夫するから、自分の身体のことがいろいろと分かってくる。

「具合の悪いときほど、自分の身体のことが分かるものです」と西野先生がおっしゃっていたけれども、まったくそのとおりだなあと。そう考えると、体調の悪いことそのものもまた学びの機会なんだ、と思い至るわけですね。

これは、病気に限らず、あらゆることに共通しているんじゃないだろうか。効率主義というか、都合の悪いことはとかくてっとりばやくプロに丸投げして対処してもらって、自分はもっと大事なことに関わろう、なんていうのが何か正しいことのような風潮があるけれども、そういう都合の悪い《無駄なこと》もまた、自分にとって大切なことであるはずで、だからそれとじっくり向き合うことで、なによりも《自分のことがわかってくる》んじゃないか。

なんか、そんなことを考えました。

大げさに言えば、アポロン神殿に刻まれたあの《汝自身を知れ》という言葉を、自らの体調不良の中に見出して驚いた今日このごろなのでした。

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今日(日付としては昨日)は、ダイナマイトモチベーションのプロモーションビデオ撮影のため、8時間くらいスタジオにこもりきり。

DM6ユーザーのインタビューに、たくさんの方々が協力してくださいました。みなさんほんとうに心のこもった、熱くて素晴らしいコメントをくれました。カメラを前に、みなさん、実に堂々たるしゃべりっぷりでした!

大雨の中、ほんとうにありがとうございました。ほんとうに石井は幸せものです。

この日、不思議なシンクロがたくさんあったのですが、そのひとつが、メイクの福田麻美さん。制作会社の人にたまたま手配していただいたメイクさんなのですが、なんと、石井のCDを聞いてくれていたのです。

とってもさわやかで素敵な方で、僕と、僕と同年代のOgw先生(?)は、ふたりで超デレデレでした(笑)

ブログに載せる予定でツーショット写真を撮ってもらったのだけれど、後から確認したら、あまりにも石井の鼻の下伸びっぷりが半端じゃないので、掲載は見合わせました(笑)

かわりに、画像は、福田さんのDVD。

企業向けや個人向けのメイク研修などをされているそうなので、サイトのほうもチェックしてみてください。

http://www.hiyokko-make.com/

信頼してくれる人

ふつう、実績があるから信頼してもらえる。
でも、それはつまり、僕を信頼してもらったのではなくて、実績を信頼してもらったということだ。
ということは、同じ実績さえあれば僕でなくてもよかったということだ。

しかし、実績がないのに僕を信頼してくれる人がいたとすると、
その人は、僕の実績をではなく、「僕自身」を信頼してくれたということだ。
ということは、その人にとって、僕の代わりはいないのだ。

だから、実績がないのに僕を信頼してくれる人の気持ちを、どんなことがあっても裏切ることは許されない。

そう思って、僕はこれまでやってきた。

エイプリールフール

今日、4月1日は、エイプリールフールの日。この日だけは、悪意のないウソで楽しみましょうという日です。

でも、僕にとっての4月1日は、ちょっと違っています。毎年思い出すことがあるんです。

まだ子供のころに、はじめて、自分の親しかった人が亡くなってしまうという悲しい経験をしたのが、4月1日なんです。

毎日のように会っていて、ほんとうに仲良くしてくれていた人が、死んでしまった。死というものを、もちろん理屈では分かっていたけれど、感情のレベルでは、何が起こったのかほとんど理解できなかった。自分がリアルに知っている人と、死というものが、どうしても結びつかなかったのですね。

そのとき、「これがエイプリールフールの冗談だったらいいのにね」と話したのを覚えています。

あの日から、何十年も経って。親しい人をもう何人も亡くしましたけれども、4月1日を迎えるたびに、心の中で、「世の中の悲しいこと辛いことのすべてが、『実はエイプリールフールのウソでした~!』って、誰か言ってくれないかなあ」なんて、子供じみたことを考えている僕なのです。

僕も、もういい歳になったのにね(笑)