たとえば、僕が、友達の家にアポなしで突然に訪ねていったとします。
友達は、たまたまそのとき家庭ののっぴきならないトラブルがあって、僕に対応している精神的な余裕がなかったとします。僕は、ほとんど無視されるような形で、帰されてしまいます。
そういう場合、僕としては、こちらの一方的な都合で訪ねていってしまった自分の無神経さを恥じはしても、その友達を責めることなんか思いもつかないでしょう。
ところが、メールだとそうではない。
自分の都合でメールを送りつけてきたくせに、返事がないと、大騒ぎをする。これはかなり暴力的なことです。こちらの事情を想像し、尊重するというところがない。つまり、信頼がない。
こちらとしては、メールの返事を書くだけの精神的な余裕がない。義務的な返事をするのは簡単だけれども、大切な人にほど、ほんとうに心をこめて返事をしたい。社交辞令的なレスなんかはしたくないと思っている。そういうことかもしれないのに、そんな思いを感じ、信じるどころか、形ばかりの返事がないことのほうが不安らしい。
昔、テレビ収録でお話ししたときに、ネプチューンの名倉さんが、「僕は、メールを出しても平気で返事をくれないような友達が、いちばん大切な友達だ」とおっしゃっていた。名倉さんっていう人が、ちょっとわかった気がした。ほんとうの心のつながりを大切にする人に違いない、と。
でも、いまの世の中は、言葉やカタチを超えた深い心のつながりや信頼よりも、社交辞令のメールのほうが大切だって人が多いらしい。
......っていう話を昔したら、「そういうときは、『いまは余裕がないから返事できない』ってひと言だけでもメールくれれば、いくらでも待つのに」と言った人がいた。
ほら、やっぱり、カタチのほうを信頼してるってことじゃないか。