2009年2月アーカイブ

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2008年10月14日に開催された、石井裕之ラストセミナー「アンプラグド ~遺書」のDVDの発売が開始されました。

セミナーの内容と同じように、シンプルな装丁にしました。

初回ロットは2,000セットのみですので、心待ちにしてくれていた方は即ゲットしてください! 先着5,000セットまで特別価格だそうです。

▼お申し込みはフォレスト出版の特設サイトから
http://www.forestpub.co.jp/1014/

ちなみに、当日参加してくれた方は、たとえば、「石井はほとんど最後になるまで座らなかったのに、なぜわざわざ椅子を用意したのか・・・?」という観点から改めて見てみると、違った学びが得られるかも・・・です(笑)。



【追記】 おかげさまで、早くも、石井史上最速のスピードで売れているということです。初回分はほどなくSOLD OUT の様相。それにしても柳田さんのセールスレターはいいですね。たまたま流れていた平井堅かなんか聞きながら読んでたら、自分でも泣けてきました(笑)

感想のお手紙

『ダメな自分を救う本』を読んでくれたオーストラリアで仕事をしている若い女性からのお手紙を、編集者を通じて、今日、いただきまして。

オーストラリアで『ダメ本』を売っているというのも驚きですが、そのお手紙の内容に、感激。涙なみだで・・・。

こんなふうに、知らないところで、知らない誰かと、深く心がつながっている。

こんな素晴らしい仕事が、他にあるでしょうか?

ああ、嬉しいなあ。しあわせだなあ、僕は。ほんとうに。


異国の地で、がんばれ、キミ! 1ミリでも、いまの自分を超えられるように、ボクが応援してるから。

The Amanojaku

本を書かせていただいたり、セミナーをさせていただいたり。こういう仕事は、出来上がった本とか、セミナーそのものを見れば、派手な仕事の印象があるかも知れませんが、そういう部分というのはほんとうに氷山の一角で、仕事の大部分は、人からは見えない、裏側の準備の地味な積み上げがほとんどなんです。まあ、それはどんな仕事でも同じだと思いますが。

でも、この仕事、僕はとっても好きなんです。本がいっぱい売れようがぜんぜん売れまいが。セミナーにいっぱい人が来てくれようがちょっとしか来てくれまいが。やっぱり好きで楽しくてしかたないんです。

だから、表面の派手な部分の結果だけで一喜一憂しているセミナー講師や著者を見ると、「あ~、この人は、この仕事のほんとうの喜びを知らないんだろうな~」なんて思っちゃう。

どんな喜びかというと、

かけがえのないただひとりの自分としての個性を、思いっきり遠慮なく主張できる

という喜びなんです。

本やセミナーについて、いろいろな言葉をいただくのだけれど、そんな中で、一番うれしいのは、だから、「こういう本は石井さんにしか書けない」とか、「こういうセミナーは他の人にはできない」って言ってもらえること。

「しゃべり方が下手だ」とか、「文章が稚拙だ」とかボロクソにけなされても、最後に、「......でも、石井さんにしかできない話だ」とか「......でも、石井さんにしかできない言葉の選び方だ」なんて言われると、気分がいい。実に、気持ちいい。

逆に、「○○先生の文体に似ている」とか「○○先生のセミナーと同じくらい感動した」とか言われると、もう最高にがっかりする。そんなの○○先生がやればいいだけで、僕がやる必要はなかったじゃん、とがっかりする。相手としては、超一流のセンセイと比べて、褒めてくれたつもりなんでしょうけれども。

そう。僕は天邪鬼なのです。あまのじゃく、というのは、「人と同じじゃ嫌だ!」という感性をもっている人のことです。

たまに、仕事が思ったようにうまくいかないときがあったり、本が期待を外れて売れなかったりすると、なんだかかわいそうな目で僕を見る人がいますが、そんなことは関係ないのです。

ビジネス的な結果を出せなくて、関わってくれた人たちに申し訳ない、という思いはありますが、僕個人としては、そんなことは失敗でも何でもないんです。

「人と同じような成功」より、「どこまでも自分らしい失敗」のほうが、ずっといい。

僕はそう思っているのです。

それが、自分を信じ、愛するってことだと思うのです。

僕は、生来、そんな偏屈な人間なものですから、友達とか、ついてくる人が少ないのも無理はありません(笑)

でも、僕としては、そんな石井裕之で上等なのです。

僕の通っている加圧スタジオのトレーナーのWさんが、「僕は、がんばっている人に、『がんばれ』っていうのって、残酷だと思うんですよね」と言っていて。

「まったくいいこと言うなあ」と思いました。

僕も、『アンプラグド』では、「がんばれ!」って言って。

一方、『「心のDNA」の育て方』では、「がんばれないときは無理しなくても、鼻水たらしてるくらいでちょうどいいんだ」なんて書いて。

「言ってることが違うじゃないか」って批判されることもあるけれど、一面的に誰にでもどんなときにでも通用する言葉なんてあるはずがないんであってね。人間っていうのは、「がんばれ」のひと言が必要なときもあるし、「まあ、そんなにがんばらなくてもいいんだよ」って言葉で救われるときもあるじゃない。

本でも映画でもセミナーでも、不思議なことに、たいていはその人がそのとき必要としているものに出会えるものだけれども、「いまの自分には合わないな」と思ったら、なにもその考え方に固執する必要なんてないんです。

そのとおりできないからって、がっかりしなくてもいい。本来、自分を元気づけようと思って読んだ本や参加したセミナーで、逆に自分を苦しめちゃうなんて、本末てんとう虫だよ。

大切なのはね、キミが自分で納得できるかどうかってことで。人がなんと言おうが、キミにはキミの輝き方があるんだから。

信頼があれば

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ずいぶん昔のノートが出てきて。セラピーをはじめたころだろうから、たぶん、15年以上前のものだろう。

本で読んで感銘を受けた言葉とか、そのときに考えていた疑問とか、気づきとか。たくさんの言葉が走り書きしてある。

僕には、いわゆるメンターなんかいなかった。リアルなセラピーの中で、悩みながら、傷つきながら、考えながら、少しずつ成長していった。

だからだろう。世間の人たちが「自分のメンターが云々......」などというのを聞くと、なにか甘えているように感じてしまう僕は、天邪鬼なだけなのかもしれないけれど。

ただひとついえるのは、僕の相談相手はこのノートだけだった、ってこと。いまと変わらぬ雑で下手な字には、まあ目をつぶるにしても。

そんな走り書きのなかのひとつ――


去るものは追わず、逃ぐるものも追わず、
去るものの去らんとするや突き放し、
依りかかるもの依らしめず、
頼るものには身をかわし、
縋るものは振り捨てる。
ただ独り立つものにのみ手を与える。


これは、野口晴哉先生の若いころの著書の中にあった文章だったはず。

ただ独り立つものにのみ手を与える――。この、表面的には、厳しさだけが強調された、冷たくも感じられる姿勢。しかし、その裏には、人間一人ひとりのもつ力に対する絶対的な信頼がある。それがいまは、僕にもすこしわかる気がする。

優しさに流されてもダメだ。厳しさに固執してもダメだ。ほどよい真ん中あたりなど、なおダメだ。

その人への絶対的な信頼だけが問題なのであって、優しくあるか厳しくあるかなどということは、どちらにしても本質的に重要なことではないのだ。

誰かと一緒に仕事をして、うまくいかなかったってことは過去にいくつもある。しかたがない。プライドをもって仕事をするなら、なあなあで仲良くやっていくことが第一義ではない。

利害が合わないっていうのは、まださばさば割り切れるものだろうけれど、価値観の違いとなればもっと心の深いところにかかわる問題だから難しい。いや、価値観が合わないということよりも、合いすぎてかえってぶつかるってことだってあるかもしれない。

お互いの決断で一緒に仕事をしたのだから、恋愛と同じで、どちらかが一方的に悪いということもない。

僕はというと、一緒に仕事をして、たとえ僕の期待どおりの結果にならなかったにしても、裏切られたとか、がっかりしたとは思わない。腹は立つけれども、それは自分に対して腹が立つだけのことで。

だって、その人に惚れ込んだのは僕だし、信頼したのも僕だし、任せたのも僕だから。

相手からしてみれば、勝手に惚れられて信頼されて、それで裏切られただのがっかりしただの言われたら、そりゃあ理不尽な話だろう。

でも、どんな喧嘩別れをした人でも、やはりその人の人間に最初に惚れ込んだ気持ちは汚したくない。かけがえのないひとりの人間としてのその人を信じた尊い思いも、間違いだったなんて思いたくない。

疑うことなんか、誰にだってできる。信じることにこそ、価値があるのだ。

取り巻く人たちは移り変わっても、人に惚れ、信じる気持ちだけは、いつまでも忘れちゃいけない。

本業が忙しいから?

本業も副業もないんだよ。

たとえわずかでもお金いただいている以上、すべて本業なんだよ。

自分の中で本業と副業をすみわけるのはいいけれど、「本業があるから云々」だなんて、人様には口が裂けても言うべきことじゃない。

そんなあなたの片手間の「副業」に、大切な大切なお金と時間を投資してくれる人たちがたしかにいるんだ。その人たちの思いをちゃんと考えてみれば、自分がどれだけ思い上がっていたかがわかるはずだよ。

あなたが手を抜いている副業に、みんな「本業」で一生懸命働いて稼いだお金を使ってくれているんだよ。

期待に応えろよ。少なくとも百倍にして応えろよ。

プロは時間給じゃないぞ。9時5時でもないぞ。自分全部が商品になるんだ。

そのための準備を必死でしているかよ。そのための勉強を貪欲にしているかよ。その場になって、そのときだけ、無難にごまかしているだけじゃないか。

そんな自分に恥ずかしさも感じられないほど鈍いなら、人様の大切なお金をいただく資格なんかないよ。

日本テレビ『キイナ』

事後報告になりますが、今夜放送された、日本テレビの『キイナ』の第4話で、コールドリーディングの取材協力をさせていだきました。

残念ながら、最終的には、提案させていただいたコールドリーディングのテクニックはほとんど反映されなかったのですが・・・まあ、「コールドリーディング」という言葉が流れるだけでも僕としては価値のあることです。

思えば、はじめてコールドリーディングを日本に紹介し、フォレスト出版から『一瞬で信じこませる話術 コールドリーディング』『なぜ、占い師は信用されるのか? コールドリーディングのすべて』を出したときには、「コールドリーディング」という言葉をどうにかしてみんなに知ってもらおうと、なりふり構わず、あちこち飛び回っていろんなことをやったのを思い出します。まるで新人演歌歌手のようでした(笑)

それも、懐かしい思い出です。おかげさまで、いまでは、テレビ番組の取材などで、ニセ占い師、エセ霊能者の話題になると、コールドリーディングの専門家として声をかけていただけるようになりました。

ちなみに、5月ごろに、あっと驚くようなコールドリーディングの新刊が予定されていますので、コールドリーディングファンの方は楽しみにしていてください。(いままでのとは、ちょっと違います!)

インタビュー音源

ぼーず柳田さんの会社、チアーズにて、石井のインタビュー音源の無料ダウンロードプレゼントがスタートしました。以前に、このブログでちょっとご案内した、例のやつです。ほかにも平賀正彦先生のインタビューなど、盛りだくさんです。

http://hero.33cheers.jp/interview/


【追記】 ・・・と告知しましたところ、申し込み殺到で、サーバーがダウンしてしまうような状況だそうです。もし、スムーズにアクセスできない場合は、どうぞ、気長に待ってみてください。

『ひめゆり』 上映会

パーソナルモチベーターの宮崎さんという女性がいて、実は彼女は、『かぼ』 の宮崎祥子のモデルというか、インスピレーションを与えてくれた人なのです。生き方として、とっても沢雉スピリットに満ちた、魅力的な一児のママです。

それで、その宮崎さんが、お仲間たちと、来月、映画 『ひめゆり』 の自主上映会を開催するそうです。


日時:3月7日(土) 18:10 受付開始 / 18:40 上映開始
場所:野方WIZ-B1F(西武新宿線 野方駅)

*保育所や、聴覚障害者向けの磁器ループと字幕の同時上映も予定されているそうです。


ご関心のある方は、ぜひ。もちろん、僕も観に行く予定です。お申し込みは下記まで。

☆チケット予約
TEL03-3951-7416 (マツイ)
FAX03-3385-4660 (ハヤカワ)
メールアドレス himeyuri-nakano@live.ne.jp
※ご予約の際、名前、人数、連絡先、保育、磁器ループ使用かどうかをお知らせください。

☆料金
大人 1000円 / 高校生以下 800円
※上映後、監督のスペシャルトーク予定してます。

月刊収録

今日は沢雉会月刊の収録日でした。いつものようにスタジオにこもり、ひとり何時間も話し続けましたので、喉もガラガラ、頭も身体もフラフラです(笑)

今回の第2号のメインテーマは、「自信の作り方の秘密」です。

会員のみなさまのお手元に届くのは、今月下旬ころになりますので、楽しみにお待ちくださいませ。

そしてそして、来月の3月号はシーズン1ラスト号として、スペシャルDVD企画。他では見せたことのない石井のスパルタ講義(!)のコンテンツをお届けの予定です。

どうしたら?

仕事に関していえば、心奪われて、無我夢中になれないのなら、その世界では生きていけない。

「じゃあ、どうしたら夢中になれるのか?」と訊く人がいたら、その人はわかっていない。

「どうしたら?」と訊いている時点で、その人は、仕事の外にいる。仕事の中に飛び込んでいない。

恋愛だって、「どうしたら好きになれるのか?」と訊く人は、恋などしていないのと同じように。

仕事も恋愛も、「どうしたら?」という方法論とは、ほんとうは、ぜんぜん関係のないことなんだ。

僕はむかし、日本語も英語もほとんどまったく話せない人のセラピーをしていたことがあって、日本語どころか英語も通じないのなら、まったくコミュニケーションできないのではないかと思ったら、これが不思議なことに通じ合えたのです。

相手の言っていることや、気持ちが手に取るようにわかるし、こちらの思いもはっきりと通じるのです。もう、びっくりするぐらいに相互に通じ合えて、もちろん、セラピーもうまくいったのですが、これはほんとうに貴重な経験でした。

海外旅行とかの、ある意味、決まりきったやりとりではなくて、セラピーのような、日常会話よりもはるかにつっこんだ個人的で複雑なコミュニケーションでさえ、言語を超えて通じ合えてしまうものなのです。

それなのに、同じ日本語を話していても、まったく通じ合えないときもあります。あちらの言っていることもわからないし、こちらの思いも一向に伝わらない。

これはどういうことかというと、やっぱり、言語ではなくて、「お互いにわかり合いたいという『思い』が、コミュニケーションを成立させる」ということなのです。

日本語も英語もコミュニケーションの手段として使えないからこそ、セラピストもクライアントも、お互いをわかりたいという思いがより強くなって、そして通らないはずのコミュニケーションが通るという奇跡が起こる。そういうことなんじゃないかと僕は思うんです。

だから、自分の言いたいことをぶつけたいだけだったり、自分の主張を押しつけたいだけだったりすると、「心を通じ合わせたい」という大前提がないから、同じ言葉を話していてもコミュニケーションが成立しないのです。

これを、「そんなこと当たり前じゃないか」と笑う人がいるかもしれません。

でも、カンタンで当たり前なことなら、すぐ実践もできるはずです。「当たり前でカンタンだから頭ではわかるけれど、実践はできない」というのであれば、それはやっぱり頭でもわかっていなかった、ということではないでしょうか。

大好きな人にほど、大好きだとか言わないで、
ただ一緒にいる時間を楽しんでいる。

信頼している人にほど、信じてますとか言わないで、
ただ当たり前に結果を待っている。

それはちょうど、
「親友には金を貸すな――」というあの理屈ときっとおんなじで、
失いたくないから、その想いを言葉にしない。

ふつうに、笑ってる。

大好きだとか、信頼してますとか、
そんな言葉が出てきたならば、
僕自身がそのことを信じていないに違いないのであって。

「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがあるけれど、複数の人の意見を合わせたがためにつまらないものになってしまうことのほうが多いのではないか?

誰の神経も逆なでしないようなものに、いったい、魅力的なものなどあるだろうか?