BeとDoの関係

「自分にはBeはあるけれどもDoがない」ということを言う人がいるが、これはまず論理的におかしい。

発生的に言えば、どんなDo(テクニック、方法論)も、もともとは誰かのBe(在り方)の実践経験から生まれたものであるはずで、とつぜんDoだけがぽこんと自然発生するはずがない。だから、卵が先か鶏が先かという話になれば、Doを生み出したのはBeである。

だから、おのずとDoを生み出さないのであれば、そのBeはほんもののBeではなかった、ということである。

そのBeが、ただ雰囲気だけ、気分だけ、ノリだけのものであったなら、それは一時的なリフレッシュメントであって、何かがそこから生まれてくるということはない。

ほんもののBeからは、湧き上がるように、突き上げるように、エッジの利いたオリジナリティあるDoがあふれ出てくるものなのだ。

多くの人が勘違いをしているが、DoとBeは、対極の関係ではない。実際には、BeがDoを内包するという関係だ。つまり、Beは産むもので、Doは産み出されたものだ。

DoとBeについては、拙著『カリスマ 人を動かす12の方法』(自分で言うのも憚られますが、これは、もっともっと売れていい本だと思っています)を参照ください。とくに103~109ページを熟読玩味されたし。

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