僕にとっての「友達」は、一緒に飲みに行く人ではないし、ランチをする人でもない。
辛いときに励ましてくれる人でもないし、誕生日を祝ってくれる人でもない。同じ趣味のことを一緒に語れる人でもない。まして、少なくとも半年に一度くらいは連絡があるなんていう基準で友情を計る人なんかではぜんぜんない。
そういう意味の友達なら、僕は、もうめちゃくちゃかわいそうなくらい友達が少ない(笑)。
僕が友達と呼ぶのは、同じ理想をもっている人のこと。
ひとたびその人が語りだすと、そこに僕のことなんかぜんぜん言及されていなくても、その人から注ぎ込まれる友情に僕の魂は歓喜し、エクスタシーに浸るのです。
このニュアンスがわからない人には、「そんなの、ただの友達の少ない寂しいヤツのたわごとだ」と思うだろうけれど、でも、こういう潜在意識の深いところでのつながりというのは、お誕生日会なんかで盛り上がるだけの友情なんかとは比するべくもないのは、わかる人だけにしかわからない。
だから、僕は、直接には一度も会ったことのない人でも、「この人は僕の友達だ」と思うことがあります。
本を読んだり、ブログを見たり、あるいは、誰かからその人の話をまたぎきしただけでも、僕はその人から流れてくる友情の熱を感じることができます。
その意味において、僕の本やブログやメルマガを読んでくれたり、あるいはCDを聞いてくれたりして、魂が喜ぶ人がいたとしたら、その人は、僕と一度も会ったことがなくても、僕の友達なのです。
キミは、僕の友達なのです。
――と勝手に友達認定する、涼しい秋の一日なのでした。